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けいたろ先生の紹介

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略歴〜

 

∴東京外国語大学 外国語学部 インドネシア語学科卒業

WAT PO Traditional Medical School(タイ王国) にてマッサージ基礎コース終了

∴美容系商社に就職。都内のデイスパサロンにて店舗管理を行う

ジャパン カレッジ オブ オステオパシー卒業(全日制3年)

∴インターン学生中にオステオパシーの国際認定MRO(J)試験に合格

【海外研修先】

∴ジョン=ワーナム カレッジ オブ クラシカルオステオパシー(英国)

∴ウエストバージニア州立オステオパシー医科大学(米国)

 

∴卒業後、東京大学医学部付属病院 神経内科にて研究員として2年間勤務する

∴ワシントンDCにてオステオパシー・メカニカルリンクの専門トレーニングを計7回受講

∴フィシオエナジェティック協会 会員

∴コルテPHIエッセンス 認定プラクティショナー

∴プラニックヒーリング 認定プラクティショナー

 

p5 この道に入ったきっかけ 「ボート部時代の自分探し」

 

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私は大学の4年間を埼玉県戸田公園の体育会ボート部で過ごしました。

ボート部では早朝と午後に1日2回の練習を行い、年間300日を合宿所で過ごしました。

2年目までに筋力トレーニングや持久力を順調に高めていたにも関わらず、その年の秋に行われる全日本新人選手権の直前に急性の腰痛に襲われました。パドリング中(強く漕ぐ)に稲妻のような刺激が腰に走ったのです。

パートナーに艇を止めてもらい、私は陸に転がりました。

その翌日から、じわじわと腰痛が悪化してきました。

 

夜は痛みで寝られず、日中は30分とまともに歩けない日々が続きました。

左足がまともに動かず、極度の冷えと便秘などが併発しました。

大学にはボート部の仲間が車を出さないと通えない状態でしたので、外に出ることが億劫になりました。

大学に行ってもまともに講義を聴いた覚えはありません。なぜなら30分以上イスに座れなかったからです。大学で私はいつも逃げるようにボート部の部室に行きました。そこで整体や栄養学、健康法についての有益な情報を模索しました。かつて買い込んだプロテインやアミノ酸が哀しく棚に並んでいました。

 

もはや私は漕手ではなく、彼らのサポートをするマネージャー業務や食事作りを担当する運命になりました。

強くなりたくて、ボートを漕ぎたくて部に入ったはずなのに、何でこんなに手際よく部員の食事を作っているのだろう?

 

上級生になってもリハビリをしていた私はボート部で自分の居場所を探すのに苦労しました。トレーニングをする楽しみを奪われ精神的ショックから拒食症になり、体重が激減しました。

 

「鍛えられないなら筋肉もつかない。だったら食べても意味がない」

 

そんな思考にさえ陥りました。

当時の主将が心配して、後輩の筋力トレーニングや栄養管理という仕事を私に任せてくれました。そして後輩を育てることにやりがいを見出しました。

 

「漕いでいる人間に余計な労働をさせてはならない。漕げないものは雑用しっかりして役に立つべし。」

 

そんな雰囲気が合宿所には漂っていました。必死にリハビリをしました。整体や健康法、栄養についてできる限り調べて実践しました。

 

それでも私の体は一向に良くなりませんでした。

当時のコーチに退部を申し出た時にこう言われました。

 

「お前は自分の体を壊した原因を本気で探したのか?

今辞めれば、その痛みにこの先も泣くことになる。腰がうずく度に、中途半端に逃げ出した事を一生後悔することになるぞ!」

 

このコーチの言葉が悔しくて、結局、引退するまで合宿所でリハビリを続けました。この間、多くの医者や有名な整体、カイロの先生などの診療を受けましたが、目立った改善はありませんでした。

 

ボート部を引退した私は、実家に帰り普通の学生の様に過ごしました。

温かい家族に励まされ、草木と花に囲まれた尾根道でリハビリをして、1年後にはビッコを引きながらですがようやく歩けるという実感が持てました。

 

この左足の運動障害はさらに2年経って自然治癒に至りました。

今は当時のトレーニング法の誤りや欠点、故障の原因などが良く分かります。

このボート部時代の経験を何かに活かせないだろうか?そう思いながら就職活動に入りました。

p5 美容系商社・デイスパサロンに就職。

 

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デイスパのサロンを全国で展開する美容系商社に就職した私。渋谷でデイスパのサロンとショップの営業・管理を担当しました。

大学時代はボート部の寮で仙人生活をしていたため、華やかな美容業界と女性スタッフの多さに始めはかなり戸惑いました。

ここでの私の主な仕事はショップ運営とサロンの宣伝活動(タラソテラピーやアロマトリートメントを行うデイスパです)。ショップではアロマ・バスグッズを販売しながら、お客様の美容・健康面のカウンセリングもしました。タラソテラピーというのは当時まだ新しいジャンルのサロンで、興味を持ってくれた一部のお客様を自らサロンにご案内しました。(今思うと怪しい営業スタイルですね〜)

 

厳しい営業ノルマを上から課せられ、店の売上が上がって給料が上がっても満足感はあまりありません。「自分にしかできない仕事とは何だろう?」そんなことを毎日考えていました。一方、サロン内で着実に技術力を身に付けて、セラピストとして活躍している同期の女性社員を見て、「技術を身につけて人に喜ばれる仕事がしたいなあ。」と考えるようになりました。

 

そして退職願いを出し、1年間フリーターをする決意をしました。

整体関連の学校探しを本格的に始めるためです。やりたいことが他にあって社内の仕事に情熱を感じないのに、正社員として給料をもらうことに罪の意識を感じていました。それで退社しました。今でもスパの業界やビジネスには興味があるので、またいつかスパ業界と繋がることがあるかもしれません。

 

p5 オステオパシーを学び始めて、感じた壁

 

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大学時代から20校以上の手技療法の学校を見学し、最も魅力を感じたのがオステオパシーでした。当時はその知名度の低さに戸惑いました。

しかし、アメリカやヨーロッパでこれだけ普及しているのに、日本でほとんど知られていないという点に、かなり興味を持ちました。

実際に治療を受けてみると、見た目は地味で静かな調整なのに、確実に痛みが減り、効いているという実感がありました。

 

私は腰や膝の調子が悪くなることが多いのですが、今ではいつ痛みが出てもオステオパシーを受ける機会さえあれば、安心して過ごせるようになりました。

またオステオパシーを継続的に受けること(月に1、2回)で、アレルギー性の眼、鼻の症状が以前より出にくくなり、体質改善にも多いに役立っています。

 

入学したジャパン カレッジ オブ オステオパシーでの3年間の授業は予想以上に大変でしたが、オステオパシーを基礎から固める上では最適な環境でした。

オステオパシーの学生をする一方、マッサージ店、整骨院、整体院、矯正サロン等で経験を積みました。しかし、同業者(特に年配の男性)のオステオパシーに対する評価は低く、

「オステオパシーなんて、しょせんマイナーだよ。カイロならまだいいけど。」

「とりあえずマッサージもっとしっかりやろうよ。オステなんてやっても客には分からないよ。」

 

など悪く言われることが多く、同僚とはしばしばぶつかりました。

一般の整体院・接骨院ではせっかく勉強してきたオステオパシーを使える環境はほぼ皆無でした。そこで私は学生時代からホームページを立ち上げ、出張施術とレンタルサロンを中心に営業を始めました。

しかし当初は月に2,3人予約が入る程度で、リピートもありません。レンタルサロンの方は毎回赤字でした。この時オステオパシーの学校の2年目でした。

 

p5 転機到来!!ホテルでオステオパシー治療が評価される。

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ある時期チャンスが舞い込みました。

ある美容系のベンチャー企業の社長さんのからお話を頂いたのです。

「オステオパシーは安全だし高齢者や女性にも優しい施術法ですね。

リゾートホテルの一室でオステオパシー治療を宿泊者向けにアピールしてみてはどうでしょう?」と誘われ、社長の取引先のホテルで施術する機会を頂きました。その社長は単に新しいもの好きだったのですが、オステオパシー封じを食らい続けてきた私には願ってもないチャンスでした。

夏と冬の休みを利用して新潟のリゾートホテルに1か月間住み込みで働きました。他にも5名ほどセラピストがいましたが、皆がオステオパシーに興味を持ってくれました。そして仕事後には毎回私がオステオパシーで彼らを治療してあげました。私はこの時期オステオパシーを認めてもらおうと必死でした。

「これだけお膳立てされ、良い仲間に囲まれ、ここでお客さんに満足してもらえなかったら、男ではない」

そんな思いで必死に施術しました。結果、会社からもホテルのお客様からも高い評価を頂き、「毎年来てほしい」「出張して欲しい」という嬉しい声を頂けたのです。これは短期の仕事でしたが、様々な客層に触れて自分の技量を知る良い機会でした。

p5 オステオパシー協会の付設クリニックを経て開業へ!

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3年間のオステオパシー学校を卒業し、私はJOMA(日本オステオパシーメディスン協会/飯田橋)に勤務しました。

ここでは学生時代の同期の女性と一緒に協会付設クリニックを立ち上げ、施術やセミナー運営の手伝いをしました。

同時に大学医学部の神経内科の研究職に応募し、2年間従事しました。

ここでは医師の研究論文の資料、データ作りを経験しました。

医師にオステオパシーをアピールしようと意気込んだものの、認めてもらうには私の技量や臨床知識はあまりにも不足していました。しかし彼らはユニークな存在として私を見守り、自由に活動させてくれました。

半年ほど経過した頃から、少しずつオステオパシーの施術は忙しくなってきました。そして自分のスタイルで営業したいという強い思いから、協会のスタッフを辞めて開業したのです。

 

開業後5年が経ち、私のオステオパシー仲間であった波塚先生(現院長)を迎え入れ、お互いに質の高い健康ケアを日々研究しています。

これから先、オステオパシーの施術を通して、体の治癒力の奥深さや魅力を皆様にお伝えできるように、日々努力していきます。長文に最後までお付き合い頂きありがとうございました!

 

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Floating Osteopathy Clinic

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