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大学時代から20校以上の手技療法の学校を見学し、最も魅力を感じたのがオステオパシーでした。当時はその知名度の低さに戸惑いました。
しかし、アメリカやヨーロッパでこれだけ普及しているのに、日本でほとんど知られていないという点に、かなり興味を持ちました。
実際に治療を受けてみると、見た目は地味で静かな調整なのに、確実に痛みが減り、効いているという実感がありました。
私は腰や膝の調子が悪くなることが多いのですが、今ではいつ痛みが出てもオステオパシーを受ける機会さえあれば、安心して過ごせるようになりました。
またオステオパシーを継続的に受けること(月に1、2回)で、アレルギー性の眼、鼻の症状が以前より出にくくなり、体質改善にも多いに役立っています。
入学したジャパン カレッジ オブ オステオパシーでの3年間の授業は予想以上に大変でしたが、オステオパシーを基礎から固める上では最適な環境でした。
オステオパシーの学生をする一方、マッサージ店、整骨院、整体院、矯正サロン等で経験を積みました。しかし、同業者(特に年配の男性)のオステオパシーに対する評価は低く、
「オステオパシーなんて、しょせんマイナーだよ。カイロならまだいいけど。」
「とりあえずマッサージもっとしっかりやろうよ。オステなんてやっても客には分からないよ。」
など悪く言われることが多く、同僚とはしばしばぶつかりました。
一般の整体院・接骨院ではせっかく勉強してきたオステオパシーを使える環境はほぼ皆無でした。そこで私は学生時代からホームページを立ち上げ、出張施術とレンタルサロンを中心に営業を始めました。
しかし当初は月に2,3人予約が入る程度で、リピートもありません。レンタルサロンの方は毎回赤字でした。この時オステオパシーの学校の2年目でした。
転機到来!!ホテルでオステオパシー治療が評価される。
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ある時期チャンスが舞い込みました。
ある美容系のベンチャー企業の社長さんのからお話を頂いたのです。
「オステオパシーは安全だし高齢者や女性にも優しい施術法ですね。
リゾートホテルの一室でオステオパシー治療を宿泊者向けにアピールしてみてはどうでしょう?」と誘われ、社長の取引先のホテルで施術する機会を頂きました。その社長は単に新しいもの好きだったのですが、オステオパシー封じを食らい続けてきた私には願ってもないチャンスでした。
夏と冬の休みを利用して新潟のリゾートホテルに1か月間住み込みで働きました。他にも5名ほどセラピストがいましたが、皆がオステオパシーに興味を持ってくれました。そして仕事後には毎回私がオステオパシーで彼らを治療してあげました。私はこの時期オステオパシーを認めてもらおうと必死でした。
「これだけお膳立てされ、良い仲間に囲まれ、ここでお客さんに満足してもらえなかったら、男ではない」
そんな思いで必死に施術しました。結果、会社からもホテルのお客様からも高い評価を頂き、「毎年来てほしい」「出張して欲しい」という嬉しい声を頂けたのです。これは短期の仕事でしたが、様々な客層に触れて自分の技量を知る良い機会でした。
オステオパシー協会の付設クリニックを経て開業へ!
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3年間のオステオパシー学校を卒業し、私はJOMA(日本オステオパシーメディスン協会/飯田橋)に勤務しました。
ここでは学生時代の同期の女性と一緒に協会付設クリニックを立ち上げ、施術やセミナー運営の手伝いをしました。
同時に大学医学部の神経内科の研究職に応募し、2年間従事しました。
ここでは医師の研究論文の資料、データ作りを経験しました。
医師にオステオパシーをアピールしようと意気込んだものの、認めてもらうには私の技量や臨床知識はあまりにも不足していました。しかし彼らはユニークな存在として私を見守り、自由に活動させてくれました。
半年ほど経過した頃から、少しずつオステオパシーの施術は忙しくなってきました。そして自分のスタイルで営業したいという強い思いから、協会のスタッフを辞めて開業したのです。
開業後5年が経ち、私のオステオパシー仲間であった波塚先生(現院長)を迎え入れ、お互いに質の高い健康ケアを日々研究しています。
これから先、オステオパシーの施術を通して、体の治癒力の奥深さや魅力を皆様にお伝えできるように、日々努力していきます。長文に最後までお付き合い頂きありがとうございました!
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